So-net無料ブログ作成
検索選択

気ままな旅・・・猪苗代湖 [東北]

今日は病院へ行ってきました。

そして仕事場にも行ってきた ながぼ♪ です。

足の状態は良好、骨も良い具合だそうです。

体が怖がっていることを除いては・・・

仕事も2月1日の午後勤務より復帰となりました。

感謝しながら頑張っていかないとですね。 

 

1月14日(4日目)

今日は、猪苗代湖から東京へ向かいました。

東京までは長かったですねぇ^^;

昨日よりは良い天気だけど少し雲が出てた。

猪苗代湖の前に白虎隊のドラマでも使用された

会津藩校日新館へ行きました。

日新館は10歳で入学する藩校。

会津藩士や武士の心得、儒教などを学んだそうです。

ここは、当時の授業風景や歴史を学ぶことが出来ます。

冬のこの時期、歩行ルート以外は雪で覆われていました。 



山下智久、田中聖らが池に入ってたシーンが

あったけど、それもここで撮影されたんだよ。

その池は雪ではなく氷で覆われてしまっていました・・・ 

像は雪に埋まってました・・・


このあとは、白鳥の待つ猪苗代湖へ行きました。

猪苗代湖は白鳥の飛来で有名な場所です。 

また野口英世生誕の地でもあります。

野口英世は見ずに、白鳥と磐梯山が望める

志田浜という場所へ向かいました。 湖畔へ行くと。。。


白鳥よりもカモの数のほうが多いような気がします。。。

磐梯山は少し雲がかかっちゃっていました。 
 
( ̄~ ̄;) ウーン残念ですぅ。
 
ハクチョウ達のためにパンを買ってきていた僕。
 
ちぎってあげていると集まってきます!
 
白鳥は 「クォ~ クァクァ クォクォ」 などと鳴きながら
 
寄ってくるのですが、カモのほうが速い!
 
空中に投げると上手にパクッてくわえる白鳥もたよ。
 

一羽の白鳥に見られているのは気のせい? 

嫌な気がして少し下がっていく僕。。。

近寄ってきたカワイイ一羽の白鳥に

標準を合わせていると、視線を感じました。

オイ! そっちばっかパンをやるな!

そんな声が聞こえてきそうな視線です。 
 
ガンつけた白鳥にパンをちぎって ( 。・・)/⌒□ポイ
 
どうやら満足して去っていった・・・ (´▽`)
 
 
カメラを構えてたらレンズの向こうに
 
僕を見つめる視線がありました。
 

いつまで撮ってんだよ!

1枚だけと撮らせてもらってギャラとしてパンをあげた。

人馴れしているけど可愛かったですよ。 

寒さも忘れて戯れていました。

 

猪苗代湖を後にした僕は、高速をひた走り東京方面へ。

思ったより早く東京へ着いたので

お台場のフジテレビや東京ドームを見に行くことに。

東京ドームでドームツアーをと思ってたんだけど

行事があるので中止・・・(;´д`)トホホ




東京ドームとフジテレビの展望室から見た東京。 

自然から都会の風景に変わります。

今からは、東京タワーと六本木ヒルズへ行って

夜景を撮ってホテルへ行く予定。

次回は、東京タワー&ヒルズをお送りします。


nice!(0)  コメント(0) 

気ままな旅・・・白虎隊 [東北]

ど~も ながぼ♪ です。 今回は長いです。

白虎隊の説明があるからですけど、

書きながら複雑な気持ちになりました。

 

1月13日(3日目)

日光鬼怒川の湯で体を休めた翌日、

会津若松へと車を走らせます。

費用節約のため、下道で会津へ向かうことに。

白虎隊のTV放送後だからでしょうか?

沢山の人が来ていました。

鶴ヶ城は雪の中。

芝生には15cmくらい積もっていました。



鶴ヶ城は廃藩置県で取り壊されたけど

天守閣が昭和40年に復元されたのね。

鉄筋コンクリート造りで土足で天守閣まで行けます。

中では会津の歴史が学べます。 

もちろん戊辰戦争や白虎隊についても。

天守閣から飯盛山方面を望みます。 

飯盛山は、戊辰戦争での白虎隊自刃の場です。

丸印で囲んだ部分が飯盛山です。 分かるかな?



飯盛山へ向かうとしましょう。 

飯盛山の入り口には白虎隊記念館があります。

戊辰戦争の資料を収蔵してある施設です。

白虎隊士の墓や自刃の場に行くには

雪の階段を上っていかねばなりません。



約200段の長い階段の上

左手に白虎隊士の墓はあります。 

積もった雪と鬱蒼と茂る木々の中

厳かにたたずんでいます。


中央に自刃した19士の墓。
 
右に会津各地で亡くなった31士の墓があります。
 
白虎隊最後について語らずにはいられませんです。
 
(会津若松観光公社より抜粋)
 
会津藩では年齢によって組織を組んでいました。
 
1・・・玄武隊(げんぶたい):50歳以上
2・・・青龍隊(せいりゅうたい):49歳以下、36歳迄
3・・・朱雀隊(すざくたい):35歳以下、18歳迄
4・・・白虎隊(びゃっこたい):17歳以下16歳迄
他に、幼少組:15歳、14歳)
 
最も強い朱雀隊を主力として最前線に
それに続く青龍隊に国境を守らせ、玄武隊や白虎隊、
幼少隊はその後備えにとっておく方針だったそうです。
しかし、新政府側との戦いは激しさを増し戦況も
厳しくなってきました・・・
前線から援軍をとの連絡があった時、
城には白虎隊の若者しか残っていなかったと言います。
 
自刃した白虎隊士の話が有名ですよね。 
少し長いけどお付き合いください。

班隊頭・原田克吉の指揮のもと
意気揚々と戦線へ出向くも数と戦力で圧倒されていく。
原田隊長が数人を連れて偵察に行っている間に
敵に囲まれていきます。
篠田少年は、隊長にかわり悲痛な声をふりしぼり
退却の命令を下しました。
 
少年たちは、いつのまにか失いバラバラに。。。
それでも篠田少年の周りには20人近くの隊士が
一団となっていました。
追われるように戦場から退いていき
やっとのことで飯盛山の中腹まで辿り着くと
見晴らしの良い場所を見つけ、少年たちはよじ登った。
高台からみた鶴ヶ城は黒い煙につつまれ
天守閣は燃えさかっているように見えました。 
また、火の海となった城下からは
絶え間なく砲声と銃声がとどろいています。
 
「もはやこれまで。 一同潔く自刃し、
同様の士と黄泉において再会しよう」と山腹に整列し、
遥か望む鶴ケ城に決別の礼をなし刀を抜きました。
ある者は腹を切り、ある者は喉を突き。。。
こうして少年らは自刃したそうです。
 
彼らが自刃した場所には城を眺める像があります。
 

眺めている方角に鶴ヶ城が見えますか?

矢印の部分がお城のある位置です。 


 


実際には城は燃えておらず

武家屋敷などに広がる炎だったそうです。

しかし、この場所に立って見ると見誤るのも

無理ないなと思いました。

命と思っていた鶴ヶ城が落城する

戻る場所がないと思った彼らの気持ち想像できません。 

戊辰戦争後、会津藩は朝敵とされ白虎隊士の遺骸も

埋葬を許可されず、密かに妙国寺に仮埋葬したそうです。

明治2年に飯盛山の中腹に合葬が許され

その後自刃19士の墓が建ち、墓所も拡張されて

大正15年ごろに現在の形になったんだそうです。

 

自刃するも唯一蘇生した飯沼貞吉と言う藩士がいました。

咽喉を突くも急所に当たらず、何度か突いたそうです。

貞良は最初、戦利品を盗むドロボウに助けられた。

しかし、生き残った恥さらしと罵声を浴びることもあって

会津の地を踏むことが出来ず後を生きていくのですが

会津に戻りはしなかったそうです。

遺言でも、「遺髪と義歯をもし会津の方より希望あらば

贈りてもよい」といった希望を押し殺した内容だった。

遺骨は最後に住んでいた仙台にあり、隊士の近くにと

会議にもかけられたそうなんですけど、値せずと却下。

隊士の墓の近くに彼の墓が出来たのは

死後26年経った日のことでした。

藩士が集合した墓の近くにひっそりと建っています。

戊辰戦争は会津で終わりではなく

北海道にある五稜郭の戦いまで続きます。

五稜郭での戦いと言えば、最後は敵陣に突っ込んで

死んでいった土方歳三が有名ですかね? 

近藤勇や斉藤一などの新撰組も戦ったのが戊辰戦争。

 

悲劇の場となった会津ですが

今はその面影が観光地として残っています。

鶴ヶ城も観光客と多くの野鳥が来る場所に。。。


石垣の近くの木にとまっていた野鳥を撮影

フィーッ、フィーッと口笛のような声で鳴く

スズメ科のアカウソ。

くちばしも赤いなぁと思ったら木の実で

口にくわえて飛んでいきました。


次回は、磐梯山を望む猪苗代湖です。
nice!(0)  コメント(0) 

趣味のカメラで撮った風景、フォト紀行、グルメ?。。。気まぐれ日記です。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。